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よく聞かれる質問 社名の由来

 「ミヨシさんって社長の名前が杉山なのに、なんで社名がミヨシなんですか?」 この質問は非常に多くされてきました。 当社に興味をもっていただきありがとうございます! 社名の由来はいくつかありますのでご紹介します。 ①創業時に3人ではじめた 株式会社ミヨシは創業当時は違う社名でした。 有限会社三善工業という社名でした。 当時は3人で会社を設立させ、これから3人で善いことをしていこう! という想いがあったようです。 株式会社に改組した際に、ミヨシとしました。 ②三方よし 近江商人の三方よしです。 ・売り手よし ・買い手よし ・世間よし 私たちの事業は自分たちだけが成功すればよいのではなく、買い手であるお客様に満足してもらうことはもちろん、事業を通して社会全体が良くなるような活動をしていく。 現在社内で取り組んでいる環境に配慮した事業活動やオープンファクトリーなどは世間よしを念頭に活動しています。 ③ご先祖様 私の祖母までは四国徳島にある三好家(三好長慶など)直系でした。社名にすることで背筋を正し、ご先祖様に恥じないように事業活動を行っていきます。 上記の3つが社名の由来ですが 現在では「 三方よし 」が会社の方向性とも親和性が高いため、三方よしを意識して事業活動を行っています。 杉山耕治

技術士登録と代表交代

前回のお話し  リーマンショックと営業活動 2008年以降仕事は激減し毎年売り上げが減っていき、2010年の売り上げは2007年の売り上げに比べて1/3まで減少しました。 その間、人員整理などはせずに人件費や光熱費などの固定費が同じ状態だったため、収入に対して支出が大幅に上回り、固定費の支払いのために運転資金で多額の借入をするようになります。 不況の最中でしたが私は専務取締役に就任しました。資金繰りが厳しい状態でしたが社員のお給料を支払う方が優先であり役員報酬が0になることもありました。当時は働いても報酬がなく非常に苦しい状況でした。 当時の社長だった父はキャッシュが無くならないよう金融機関と交渉し借り入れを続けて会社は存続できました。しかし、売上げや利益の改善は見られず、経営状況があと1年このままだと会社は倒産するところまで状況が悪化していきました。当時、社長だった父には、たとえ会社が倒産しても二人でやり直そうと話したこともありました。会社が倒産する可能性を受け入れ覚悟が決まった時期でした。その頃から会社が倒産する可能性があるなら、やれることをやらずに後悔したくないと考え、積極的に色々なことに挑戦していきました。 先行きも不透明で好転する材料がなく、さらに借入が増えていく状況であれば、早い段階で代表交代した方が良いと考え、2010年に父と話し合い、2012年に代表交代をすることにしました。 2010年から2012年の代表交代するまでの期間はとても大変でした。 親子といえども違う人間であり、考え方が異なるので主張の食い違いは様々なところでありました。それまでは意見が合わない場合は極力自分の主張は抑えていましたが、会社を承継するとなると自分の人生にも大きな関わりがあります。自分が会社を継いだ後を考え、会社をどのような方向性にするか意見を言うようになっていきました。創業者で長年会社経営をし様々な困難を乗り越え会社を存続させてきた父にとって、経営のことに意見を言われるのは気持ちの良いものではなかったと思います。 お互いが会社を存続させ発展させていきたいという想いも重なり、考え方の違いから衝突は大きくなっていきました。当時は社内の雰囲気は非常に悪くその時居合わせた社員には申し訳ないと思っています。 代表交代を申し出た当時はまだ30代前半だったため、自分自身が経営者としてはも