2年目の人事問題

前回のお話し ミヨシに入って1年目


入社して1年と3か月で、社内で最も技術力がある課長が辞めました。

 

辞める理由は独立して型屋を始める事でしたが、辞やめる間際に「どんどん成長するお前を見ていて、自分がこのままで良いのか考えた。このまま続けてお前に抜かれるのが嫌なんだ」と伝えられ、非常にショックを受けました。

その方は社内で最も技術力があり、目標にする人がいなくなること、退職されたら会社の技術力がなくなることでこの先会社はどのようになるのだろうと不安になりました。

この時はまだわかりませんでしたが、今の年齢になって分かったことがあります。

技術職の場合、ある一定の年数を経験すると自分の成長速度が遅くなることに葛藤が生じます。退職した方も何かに挑戦するのであれば40歳前後がラストチャンスだとおっしゃっており、今ではその言葉も理解できます。

私が入った時から独立することは考えていたようで、私に仕事を教えてくれるわけではなく、その人から仕事を頼まれることもほぼなく、決して良い関係ではありませんでしたが、技術面では私にとっては目標にしていた人です。辞めるときには改めて感謝の言葉を伝えました。その先もしばらくは、何か難しいことに挑戦する際は「あの人ならどうするかな」と想像しながら取り組んできました。


さらにその年は、金型技術者がもう一人退職し、金型加工ができる社員は私ともう1人の社員で、2人だけになりました。

 

当時の代表だった父は社員を増やすために求人サイトのスカウトメールサービスを活用し、3名採用しました。スカウトメールには耳障りの良い言葉が並べられ、会社の実情に沿うものではありませんでした。3名は私よりも年上で中には一回り上の方もおり、全員が金型業界未経験者でした。業界未経験なため誰かが指導しなければなりません。

父は新しく入った方々にこれから私と一緒に組織を作っていってほしいとお願いし、私の部下にしましたが、その想いと熱意のみで具体的な方針や方策はありませんでした。私は当時加工技術が高くなく、マネジメントもできずにリーダーシップを発揮できなかったため、新しく入った方々から反発を受けることもあり、苦しい日々を送ることになりました。

社員から見れば「経験も浅いし実力がないけど社長の息子だから優遇されている」という認識だったと思います(実際に言われたことも)。新しく入った社員も既存社員も同じような感覚だったのかもしれません。何かをやろうとしても誰も賛同しない状況が続き、苦しい状況が続きました。

 

入社した社員は、1年以内に2人が辞めてしまいました。残ったもう一人も4年後に退職しました。 

この後も、当時の社長だった父は採用活動を継続して行いましたが、ほとんどの人が1年以内に辞めていきました。入社した人がいきなり仕事で結果を出すのは難しく、仕事を教える(おぼえてもらう)時間が必要でした。怪我や事故が無いよう気配りも必要で、本来自分がやる加工の仕事に加えて新しく入る人に対してかなりの時間を費やしました。

新しく入った人に関わる時間が多かった私は、短い期間で人が辞めることは会社にとって大きな損失になると感じていました。また、人が辞めていくのを見るたびにその人の人生においてこの会社に入ったことが良かったのか考えると、私は心が苦しくなりました。 

このときから、採用は人の人生に関わるものでありミスマッチを防がなければならないと考えるようになりました。


このお話の入社2年目人事問題から現在まで、これで正しいと思える採用活動と職場環境はできていません。働く人とのミスマッチを何度も経験し、今でもまだミスマッチが生じることがありますが、少しずつ会社の仕組みを改善していっています。

採用についての考え方


人の問題を抱えながらも金型製作を行い、金型製作の技術は向上していきましたが教えてくれる人が身近にいないため、2年目以降は金型製作を独学で習得しなければなりませんでした。


つづく