学生からミヨシに入るまで

前回のお話「ものづくりと小学生までの環境」 


中学、高校と進むにつれて関心はものづくりとは違うところに向いていきました。

高校に入るとスノーボードがしたくて、アルバイトでお金をためて冬になるとスノーボードに行っていました。この頃はまだ仕事として自分のやりたいことも見つけられず、何のために勉強をするのか目的が定められずにいました。


大学に進学し、色々なアルバイトを経験しました。

中でも4年間続けたガソリンスタンドのアルバイトでは様々なことを教わりました。アルバイトを始めたばかりの頃は、わたしの世間知らずな対応から人間関係がうまくいかない時期がありました。そこで、誰かがやらなければならないけどみんながやりたくない仕事を率先して行うようにしました。続けていくうちに職場内で「ありがとう」といわれる機会が増え、人間関係が改善していったと感じました。

ガソリンスタンドでは給油だけでなく様々な仕事がありました。窓ふきや洗車などを丁寧に行ったり、車の異変に気付いて声掛けをしてトラブルを未然に防ぐことでお客様から「ありがとう」と感謝されることがありました。仕事を通じて誰かの役に立った時に感謝されることがとても嬉しくやりがいを感じました。


この頃から、仕事をするのであれば、だれかの役に立つ仕事がしたいと考えるようになりました。


そんな時、大学の授業で環境に関わる講義がありました。エネルギー問題、自然の力を利用した住環境、ごみ問題など。

聴講していくにつれ、私たちの便利な生活にはエネルギーが大量に使われていることや大量のごみが発生していることに気づき、ショックを受けました。

電気など目に見えないエネルギーはどれだけ使っているかその場ではわかりません。

ごみは自治体が処理してくれるので、地域全体でごみをどのくらい出しているのか、最後はどのように処分されているのかは普段の生活のなかでは見る機会がありません。

エネルギー使用量やごみ排出量は1人だけなら少ないかもしれませんが、地球上にいる人間の分だけ発生することを考えると莫大な量になります。


学生時代は内燃機関に興味があったので、ごみを燃焼させてそのエネルギーを電気として回収するサーマルリサイクル事業に関わる仕事をしたいと考えるようになりました。就職活動ではごみ処理プラント事業を行っている会社に応募し造船会社に入社しました。

そこで出会った上司の影響を受け技術士を取得しました。

試験当時、上司のことを書いた内容 「年末の試験に向けて」


実際にごみ処理プラントの現場に出ると、私の想像をはるかに超える大量のごみが毎日運び込まれていました。

ごみは分別されているとはいえ、リサイクルできるごみは限られており、焼却や埋め立てされるごみの中にはまだ使えるようなものも沢山ありました。まだ使えそうなに捨てられてしまうのはなぜでしょうか。

流行ではないから

飽きてしまったから

使い捨てでも良い価値の低いものだから

一部が破損し修理するよりも買いなおしたほうが良いから

理由は様々ですが捨てられた時点でその物は、燃やすか埋め立てられるか二度と私たちの手には戻りません。



そこで感じたのはごみを減らすのは処分をする段階ではなく、製造側で捨てられないような仕組みを作らなければならないという事でした。


ごみを減らすことは処分の段階では難しいと考えていた時、父から「会社を継がないか」と声を掛けられました。父は自分の病気をきっかけに事業承継をしたいと考えたようでした。


私は「お前たちには会社を継がせない」と言われて育ってきたため、父からの声掛けを最初は断りました。

しかし、何度か声を掛けられるうちに、親や会社に対する恩にどのようにふるまうべきか、このままごみ処理プラントの仕事を続けるか事業承継をするか悩みました。
今まで自分たちを育ててくれたのは親ですが、家族が生活できたのは会社があったからであり、その会社には社員やお客様とのつながりがあります。

私が継がなかったら会社、社員、お客様がどのようになるか想像し、自分が継がなければならないと使命を感じ、事業承継することを決めて株式会社ミヨシに入社しました。


ミヨシに入社してこれから仕事をおぼえて会社を継ごう、入社当時はただ漠然とそう思って仕事をし始めましたが事業承継までの道のりは楽ではありませんでした。


つづく